仏教について お寺さんの
『ココロの勉強』ガイド

仏教について

2020.07.11 犬について

榎本 勝彦

西栄寺 東京別院
榎本 勝彦

犬

【お寺さんの会】ココロの勉強ガイド|犬について

犬と仏教は、接点があまり無いように感じますが、さて、本当にそうでしょうか?

お釈迦様の前世の物語と言われる「ジャータカ」の中で、時々犬も登場します。その物語の1つを紹介します。

昔々あるところに、王様がいました。ある時その王様の乗る馬の手綱の革が夜の間に食べられる事件が起き、馬小屋の周りには犬の足跡がありました。家来たちはきっと野犬の仕業に違いないと王様に報告し、怒った王様は「犬など殺してしまえ」と命令します。街では野犬の殺しがはじまり、追い詰められた犬たちは、墓地に住む野犬のリーダーに事情を説明します。リーダー犬は「誰が犯人が知っているか」と尋ねます。野犬たちは、「誰が犯人か知らず、堅く守られているお城に忍び込むことなど出来得ない」と口を揃えて言いました。そこでリーダー犬は「わかった。私が王と話をつけてこよう」と立ち上がりました。

リーダー犬は王様に「なんの罪があって野犬たちを殺そうとされるのか?」と問います。王様は「私の愛馬の手綱を食べた犬がいる。だからその罪ですべての犬を殺すのだ」と答えます。すると「本当にすべての犬を殺すのですか?」と問います。王様は「いや、王宮の犬は別だ」と答えます。
すると「それは王の道に外れた不公平な行いです。王たるものが物事を判断するときには、公平さこそがなにより大切なはず。野犬だからと犯人扱いし、飼われている犬だからと疑うこともしない。それが果たして正義と言えるでしょうか」と王を問い詰めます。王様は「それでは私の犬が犯人だという証拠はあるのか?」と詰め寄ります。
「バターと薬草をください。それを混ぜ、王宮の犬たちに食べさせてください」と言います。王様がそうするように言いつけると、なんと王宮の犬たちは手綱の革を吐き出すではありませんか。

それを見た王様はリーダ犬に頭を深く下げ、野犬たちの命を助け、王宮の犬たちと同じように食べ物を与えることを約束し、リーダー犬が教えた公平・正義の教えを守っていったのでした。

大昔から権力を振りかざし、自己中心的で非道な行いがあったことがわかります。そして無実の者を悪者に仕立て上げるようなことが現代においても残り続けているという現実。
仏教の教えには、己を見つめ直す鏡のような教えがあります。この物語も自分のこととして受け取って読み返せばまた違って感じます。

ここに登場するリーダー犬は、お釈迦様の前世の姿とされ、この善行がお釈迦様へと通じる一つの縁となります。また王様の姿は自分の姿として見ることができ、自分に都合の悪いことが起きた時、その目を自分の外に向け、他人のせいにしたり先祖のせいにしたり、自分自身の言葉や行為を省みることなく、なにか他のせいにしてそれを悪者に仕立て上げる姿は、この王様となんら変わりません。

いつも自分自身の在り方を振り返り続けること、自分の正しいと信じているものは、果たして本当に正しいのかを考え続けること。その大切さを教えてくれる犬の物語でした。

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